俺が最初に勤めた会社を辞めたのはもう25年近く前の事になる。
当時のテレビ番組制作会社のトップ3にはいる会社だったが、一年間で休みが3日しかなかった。二子玉川のぼろいワンルームに帰れるのは週に一度。あとはずっと会社の床にダンボールを敷いて寝る毎日。ボディへの蹴り、深夜の先輩ADの引越し手伝い、先輩ADの合コン前にはクリーニング出しと引き取り、そして最長4日間の編集完徹。そんなこと当たり前。ブラック企業なんて呼称すらなかった時代だったが、このままだと死ぬなと思った。
そして、辞めた。
辞める前に社長に言われた。お前はもうこの業界追放ということで、と。別に構わなかった。そんなことマジどうでもよかった。
会社のあった骨董通りの住友青山ビルを出ると、空が青かったのをいまでも思い出す。
光がまぶしかった。自由だ。そう思った。痛感した。自由を実感すると腹が減ってきて、炒飯くった。会社の近くのだるまって中華屋。いつも会社のみんなの弁当の買い出しに行ってた店。そこで昼間からビールを飲んで、炒飯を流し込んだ。
うまかった。
半端ない解放感につつまれた。
自由にはなったが、当時五年付き合っていた彼女に振られた。
当然だな。携帯もポケベルもない時代だ。約一年ほぼ連絡もなくデートゼロの男など、大手商社に就職した彼女にとってなんの魅力もない。未練はあったが、諦めた。もう新しい彼氏がいるというから仕方がない。早稲田の剣道部を出た弁護士さん。無職となった俺に勝てる要素などなにもなかった。
あの頃を思うたびに思いを馳せるのは、いまみたいに高度に情報化された社会なら俺の未来はどんなだったろうかということだ。
あの頃はあの頃で、十分情報化されていると思っていたが、いま思い返すと何も知らないひとりの情弱な若者にすぎなかった。失業保険の申請すら、会社をやめた解放感からすっかりすっ飛んでたし、転職サイトなんてものもなかったから、自分の人生をどう構築するかなんてイメージすら湧かなかった。けど思うのは、イメージすらなかったから、あまり悲観的にもならなかったのかもしれない。
会社を辞める時に俺のこころを後押ししてくれたのは、ミスチルのTommorow Never Knowsとかいう歌だった。いま思うと甘ったれた歌だが、当時の俺のこころを押すものはこんなものしかなかった。
「果てしない闇の向こうに、手を伸ばそう♪」
何度も聞いた。
桜井の歌声がこころの奥の奥まで刺さりまくった。
だから何度も何度も聴いた。
「夢があるから会社をやめる」なんてフレーズが昨今タイムラインで流れるたびに、俺はあの頃を思い出す。
夢なんて、あのときの俺の頭の中にはこれっぽちもなかった。
俺だってあの当時はまだ20代前半だったから、当然人並み以上に夢に憧れていたはずなのだが、不思議なものだ。夢なんて、眠っている間でさえ見ることがなくなっていた。
ただただ逃げたかった。
自分をとりまく全ての事象。そして自分からすら逃げたかった。
金曜の夜。華やかな銀座。
社用車に編集テープをやまほど積んで、月島の編集室に向かう。
信号待ちで車を停めると、目の前を同じ年頃の洒落た男女が嬌声をあげながら夜の街に繰り出してゆく。
こころに滲む敗北感。揺らぐネオン。
いまでも銀座四丁目あたりをあるくとき、ふとあの頃の情景が脳裏に浮かぶ時がある。
晴海通りを走る車列に昔の自分なんているはずもないのに、信号待ちでぼんやりとソニービルの上を流れる雲をみあげては、自分の歩んできた時間の分岐点にそっとこころを寄せるんだ。
あれから25年の月日が流れた。
いま、俺はあの頃に夢見ていた職業でなんとか喰っている。
でも、ときどき思うときがある。
「これが、俺の夢だったのか?」って。
「こんなちっぽけな夢だったけ?」って。
夢なんてそんなもんだ。大仰に声高に「夢」なんて語っても、ひとの成長、そして時間の流れでどうにでも変わってゆく。方丈記みたいなもんだ。
夢のそのさきにまた新たな夢がまるで夏空に湧く入道雲のようにムクムクと湧き上がり、その新たな夢のさらにその先に、いまは想像すらできない夢がまたでてくる。
大切なのは、夢を見るためには飯を食わねばならぬということだ。
飯を食う。食いつづける。そして生きる。
そんな当たり前なくして、夢なんて叶えられない。
語ることはできる。
でも、決して叶えられない。
だから、夢を叶えたいなら、飯が食えるスキルを磨け。
そのスキルなくして、運も、人脈も、金も、女も、幸せも、そして夢も、手にははいらない。
飯が食えるスキルさえあれば、全ては手にはいらなくても、そのうちのいくつかは手に入る。
「新卒フリーランス」「内定蹴って自由に生きる」「夢を仕事にする」。
そんなこと、別に新しいことでもなんでもない。
25年前でさえ、そんなやつはいっぱいいた。
そして、そのほとんどが、熱く語っていた夢を叶えられずに散った。
戦いに勝ち残って夢をその手に掴んだやつでも、それが現実の仕事になった瞬間に、夢が夢でなくなってゆくというジレンマを抱え、伸び悩んで消えていく。そんなのも大勢みてきた。
だから思う。
そんなジレンマを乗り越え、その先を目指すやつが、本当のプロフェッショナルってやつだと。
お前はまだ若いんだ。
今のうちにいくらでも失敗したらいい。
フリーランスで生きたいならば、これだけは覚えておいて欲しい。
成功した仕事なんてない。
満足した仕事なんてひとつもない。
すべてのジョブに失敗点がある。
思い返すたびに反省の念が浮かび、後悔するときもある。
だからこそ、成長できる。
一歩一歩、その歩みは遅くとも、確実に成長できる。
だから俺は今も毎朝自分にこう問いかける。
「おまえは今も成長してるか?」と。
家を出る前に、歯磨きしながら鏡にむかって問いかける。
そして胸を張って自分に答える。
「大丈夫だ。俺は一生成長期だ」と。
じゃ、みんなも夢に向かって、もうひとっ走りしようぜ。
果てしない闇の向こうに、手がとどくまで。
いつかは届くだろ、そんなもん。
でも、その前に、ちゃんと飯喰えよ。
どうせなら、とびきり美味い炒飯をな。