職業はCM演出家。
いわゆるCMディレクターってやつをかれこれ20年やっている。
しかしいまのご時世、なにかとワンストップでの作業を求められる。
よって、場合によってはクリエイティブディレクションもするし、企画やコピーも書くし、DP(撮影監督)もするし、編集もする。 ナレーションだって読んじゃうときもある。
すべては生き残るために。
そうやって1999年にフリーになってから生き延びてきた。
フリーで受注することが難しい案件もあり、数年前に法人化もした。
そして、どんどん加速するマルチタスクという豪速球を、いかにフルスイングでホームランにするかだけを考えてきた。
ごめん、かっこつけすぎた。
振り逃げでもポテンヒットでもいい。
どれだけ次の打席につなげられるか。
それのみを考え、生きてきた。
人生を振り返ると、それなりに山も谷もあった。
一番落ちた谷は、最初の結婚相手との離婚がきっかけだった。
30代半ば、働き盛りの時期ってやつだ。
精神的に落ちまくった僕は、すべてのキャリアを無に帰そうとした。
仕事も、友人も、家族も、感情も、お金も。
そして、自分の存在自体も。
多くのひとが離れていった。
当たり前だ。
こちらから離れたのだから。
そんな僕が立ち直るきっかけ。
それはやはり両親だった。家族だった。
そのときのことを、息子の出産の前日に振り返ってフェイスブックにポストした。
妻の入院手続きを終え帰宅しひとりになると急にドキドキしてきた。
それなりに気持ちを整え、覚悟はしてきたつもりだ。だがなんだろうか。不安とも期待とも違う鼓動が胸に響いてくる。いい加減いい大人なんだしと自分を抑えるも止まらない。なので、夜道をひとり、風に吹かれて歩くことにした。
脳裏に浮かぶはあの日の光景。
決して他人には言えないあの時の光景。
頑固者の親父と息子に甘いお袋が、まるで陽炎の中に浮かぶ幻影のようにボンヤリと視界に浮かび、日曜の朝、下町の路地裏で足を止めたあの時。
感謝して生きよう
多くのひとやものに、感謝して生きよう
茫洋としたセンチメンタルな気分の中に、はっきりとした気持ちが浮かぶ。
では、今夜はこいつらとはやくねますかね
僕の人生の1/3を横で支えてきてくれたこいつらとさ
ま、そんな風に吹かれた夜。
(引用元:IKG48の中のひとの実名フェイスブック記事)
そう、あの日が人生のターニングポイントだった。
モラトリアムの闇に沈んだ僕が再浮上するポイント。
しかし、世の中、そんな甘くない。
復帰はしたけど仕事はない。ゼロだ。
かつてはTSUTAYAのレンタルビデオコーナーで「期待の若手CM監督がつくったショートラブストーリー」なんてPOPまでつくられ、若干天狗になっていた頃のような目立つ仕事は当たり前だがもう他人のものとなっていた。
それから、僕はあがいた。
あがいてあがいて、やれることはなんでもやる気持ちであがいた。
仕事関係のひとには内緒にしながら夜のバイトを掛け持ちした。
安い金で、飯を食うためだけに、ただただ必死にあがいた。
あがくことがかっこ悪いなんて考えなかった。
そんな余裕なんてどこにもなかった。
そしていつしか、あがくことが自分の軸を作り出していることに気づいた。
収入的になんとか前のレベルまで持ち直したのはそれから四年後。
ありがたいことに、こんな僕を再び信用し、仕事をくれるひとたちに囲まれた。
いま、僕は幸せだ。
妻と出会い、一度は婚約破棄もされたけど、なんとか信頼を回復し、結婚し、息子まで生まれた。
こんな幸せな環境、十数年前のやさぐれて自己憐憫に浸っていた俺には想像もできないだろう。本当に。
子どもが生まれる一月前。
こんな日記を書いた。
昼から5時間でSNS用の1分動画を12本、一気に仕上げて帰路につく。
その途中、プレ勝ちましたと電車の中で嬉しいメール。
まだ見ぬキミが降り立つ世界は、美しいだけじゃない。
醜くて汚くて厳しい面もある。
それでもひとは生きてゆくんだと、僕はキミにキチンと教えてゆかねばならない。
写真は先日水通ししたときのもの。
改めていろんな覚悟が湧き上がる。
さあ、頑張りまっしょい
ま、そんな夜。
(引用元:IKG48の中のひとの実名フェイスブック記事)
これからも、僕はあがきつづける。
あがいてあがいて、生き抜いてやる。
この美しいだけじゃなく、醜くて汚くて厳しい世界を。
富も名声も、夢みたものには到底及ばないだろうが、それでも僕はあがき続ける。
息子よ
そんな生き様が、おまえの父親だ。
その両目で、しっかり、焼き付けておいてくれ。
やがておまえにも生きる意味がわかるときが来る。
そのとき、ちょっとは俺のことを、思い出してくれ。
そして褒めてくれ。
「親父、アホだったけど、かっこいいよ」ってさ。
それだけで、俺は笑って死ねる。
最後に。
友人でもあるコピーライターの先輩が書いたコピーを紹介したい。
人生、山あり谷あり…いや、
山あり山あり山あり、だな。
(引用元:京王電鉄 高尾山2017キャンペーン / コピーライト:赤城廣治氏)
そう、人生、山あり山あり山あり。
ビビって歩みを止めるな。
人生に意味なんて求めるな。
生きつづけること、あがきつづけること、歩みつづけること。
その行為の後に、意味が生まれるんだ。
その一歩が道になるんだ。
さぁ、進め!
恐れず進め!行けばわかるさ!
その一歩が、道になる!
追伸:プロフィールなのに、なんか手紙みたいな決意表明みたいな曖昧なものになってしまい恥ずかしい限りです。最後まで読んでくださり、本当にありがとう。
(グーグル砲でバズった当ブログの代表記事は↓コチラになります。)
<IKG48の中のひとの経歴>
慶応義塾大学文学部卒業後、大手テレビ番組制作会社へ800倍の関門を通過して入社。
一年後、大手日用品メーカーの広告作成部署に転職。29歳でフリーランスのCMディレクターになる。2004年、フジテレビ広告賞特別賞受賞。現在もCMほかMVや観光系PVなどのクリエイティブディレクションから演出まで手がける。座右の銘は「人生フルスイング」。