赤ちゃんと猫は、お互いをどのように認識するのだろうか。
我が家に生後一ヶ月の息子が帰ってきたとき、僕も妻もネットニュースで拡散されているようなインスタ映えするほのぼのした光景を期待したものだが、現実は正反対だった。
猫は赤ん坊を生物とは認識せず、無視し、たまに発するその鳴き声には迷惑そうな顔をし、黙って離れていく。いま思うと、彼らにとって不快な存在だったのは間違いない。
猫は元来、音に敏感だといわれる。
うちの猫は、僕が帰宅するとドアの前に座って待っているし、妻が起きる気配を感じると彼女の部屋のドアの前に待機する。宅配便のピンポンが鳴るとダッシュで僕のベッドの下に隠れ、家族以外のひとが家にくると僕の部屋からじっと動かない。
猫も個体ごとの性格差があるので一概には言えないが、総じて鳴き声や奇声をあげる赤ん坊やこどもとの相性はそれほどよくないと考えられる。
そんな赤ん坊と猫の関係性に変化が見られ始めたのは、生後四ヶ月を過ぎた頃。両者がともに生活をはじめて三ヶ月を経た頃だった。
ある日、ふと気がつくと、オス猫の空ちゃんが息子の足に自分の尻尾の先っちょをチョコンとくっつけていた。
アンモナイトのように息子の足元に寝転びながら、尻尾で息子の足をさわる。
数日後、メス猫の風ちゃんもおなじように息子の足に尻尾をくっつけていた。
猫を飼っている方はおわかりだろうが、猫が尻尾をくっつけるのは好意のサインである。そんなサインをしめしてくれたことにホッと安堵し、うれしく思った。
そして、そのサインを境に両者の間にあった溝がひとつ埋まった気がする。
息子が泣き始めると、猫たちはソワソワしながら心配そうに近寄ってきたり、「大丈夫かにゃー?」と鳴いてみたり、プレイマットで寝ている息子の周回をぐるぐるまわるようになったり、その行動パターンに確実な変化が起きはじめた。
息子も視界がクリアーになってくればくるほど、横を通りすぎる猫たちを両目を広げて興味津々にガン見し、猫たちも徐々につめてきたその距離から息子と目をあわせ、その様子を観察する。
目と目で通じ合う〜♪ではないが、息子は猫たちにようやく家族として認識されはじめたようだ。そして息子も生物多様性の認識の序幕を迎えたと感じる。
この数ヶ月の両者の生活の中でもっとも驚くべきは、猫の母性、父性の開花だ。
特にオス猫の父性の開花には目を見張るものがある。
息子が生後半年を迎える直前の夜のできごと。
我が家の庭にたまに遊びにくる近所の猫がいるのだが、今までならばその猫が来てもリビングの窓越しに気弱な鳴き声で反応するだけだったオス猫が、これまで18年間ともに生きてきて聞いたことのない本気の怒りの声をあげたのだった。
メス猫も飛んできて、ふたりそろって、ものすごい野獣の声をあげる。
近所迷惑になるほどの音量で。
すこし話がずれるが、猫の世界では、発情期になるとオス猫が子猫をコロすケースが多いという。その理由は、子猫が死ぬことでメス猫が再度発情し、交尾の可能性が高まるからと言われている。
だから、メス猫は出産すると、オス猫の到来を非常に警戒し、襲来したら命をかけて戦い、場合によってはメス猫同士が共同戦線を張ることでその非常事態を乗り切るケースもあるという。みなさんが時折耳にしたり見かける「猫の本気の喧嘩」は、ほぼそのケースに該当する。見たことあるひとならわかると思うが、あれは鳥肌がたつほど本当に恐ろしいコロしあいだ。
そんな鳴き声を、うちの猫が、はじめてあげたのである。
これには本当に驚いた。
そして思った。
これは猫たちが息子をファミリーの一員と認識し、受け入れた結果だと。
守りたい対象になったんだと。
あの日以降、あの近所の猫は現れていない。
そして、息子と猫たちの日々は、あいも変わらず、ゆっくりとのんびりと平和に進んでいる。
徐々にだが確実に、その距離をつめながら。
(猫の視点から見た赤ちゃんの物語は↓コチラです。)
(ペットのいる子育て家庭にむけたダイソンのレビュー記事は↓コチラです。)